2018.10.31 12:00プロローグ はじめて「それ」が僕の背後に憑くようになったかは具体的にはよく覚えていないが、気が付いたら「それ」は僕の背後にしがみついていた。 中学校、いや小学校を上がったころにはすでにいた。存在をなんとなく覚えている。ただ興味を持ったことはなかった。「それ」が僕に興味を持っていると知るまでは。 「それ」の名前は松嶋沙耶という。 高校に上がるころには流石に名前を認知していた。違うクラスにいる茶色の髪をしたごく普通の少女だ。噂では母親と二人暮らしをしていて、三つ下の弟が中学に通っていて、ハムスターを飼っていると聞いていた。成績は中の上、学年順位表で名前も見かけたことがある。運動は並以下でボール一つまともに投げられないことで有名だ。 僕が知っている彼女の情報はそれとあ...
2018.10.24 10:33等価交換の選択を君が笑いたければ笑えばいい等価交換だ、と不意に思った。 でも確かにどこかで鐘の音を聞いたような気がした。 「きっと、笑われるんだろうな」 「笑わないよ。少なくとも、私は」
2018.10.24 10:32それでも君に生きてほしい 君はいつも僕からもらってばかりだなんて言っていたけれど、そんなことはなかったって君は知っていただろうか。僕があげたものなんて本当は何もなくて、ずっと空っぽみたいなものだったんだよ。君が僕を満たしたってこと、君は知らないだろう?君はいつも偉大で、どんな言葉を吐いても返しきれそうにないと思ってた。いつも言葉にしたとたん、気持ちのすべてが軽くなるような不安に駆られて、でも君はそんな僕の言葉でも目を細めて笑んでくれた。そうしてもらうたびに僕は、言葉がなくても君の思うことがわかって、言葉でしか伝えられない自分の未熟さを知ったんだ。裏でこんなおかしな劣等感を抱えてたなんて、君が知ったらなんて言うかな。 不思議なことにね、今は「ああ、やっと返せる」なんてひどく安堵...
2018.10.24 10:30神はいたとしても救世主はこの世にはいないのだろう 僕が初めて後ろを振り返ったときのことを君は覚えているだろうか。 あの時君は僕の話を聞かずにただただ「ごめんなさい気持ち悪いですよね」なんて言葉を何度も何度も繰り返していたんだ。もちろん君がしてきたことは気分のいいことではないと思っていたし、できることなら改めてほしいと思っていた。だけど僕はそれ以上に君という人間を知ってみたいと思っていたんだ。それを君が理解してくれたのはずいぶんと日が経ってからだったよね。理解してくれた君は、「寂兎君って不思議な人だったんだね」と目を丸くしていたっけ。自分でもおかしいことをしていたとはわかっていたよ。僕たちはお互い、他人からの忠告なんてものを聞けない人間だったらしいから。 でもそういう選択があったから僕はいまの僕になれ...
2018.10.24 10:30この話はこれで終わり。解散。…あれ? そしてとうとう節理も彼女を拒否する時が来た。 「本能」に行き止まりを提示された沙耶は、己の姿を知覚することも感情を覚えることもなく、ただただ完全な死を迎える。本当に愛を全うする瞬間だった。こんな形にはなったが、きっと満たされることだろう。本当に彼女がそう思っているかはもうわからないからさておいて。 というわけで、松嶋沙耶の話はこれで終わりだ。 一度きりの人生というものの尊さを、体を張って証明した物語だった。この先もこの話は他の胎児たちの中でも寓話として流れることだろう。「過去のしがらみなどを覚えているとろくなことはない」ということで。…え?それで話が終わるとは限らないって?
2018.10.24 10:29彼女は摂理を裏切った そう、あれは彼女にとってまさしく純愛だったのだ。 彼女は初恋を死ぬまで全うした。彼女は彼に恋している。恋したがゆえに死んだ。そして死んでもなお彼女はその純愛を貫いた。 彼女の意識はあの白い病室の中で止まり続けた。彼と愛し合った事実も忘れるほど長い時間をその時空の中で過ごした。 途中で何度も自分が生まれ変わるために必要な夢を見た。悪夢のような世界をさまよう旅だった。そこで出会った人々は、口をそろえて「自分は死んだのだ」ということを教えてくれたものだから、夢ではなく死後の世界だということに沙耶はやがて気が付いた。気が付くたびに沙耶は本能的に続けていた旅をやめた。旅の終わりは産道だと知っていたからである。 彼女は生まれ変わりたくなかった。生まれ変わるという...
2018.10.24 10:26思いはすべて灰になった 女は彼の墓の前でかたくなに動かずやがてそのまま骨になった。悪夢のような純愛を全うした女のうわさはその後しばらく街に流れたが、一年もたてば過去となって消えた。
2018.10.24 10:24ヴェールの奥を明かす前に 二人の将来はいつしか円満なものになると沙耶は信じていた。 かつては勝手に彼の写真を盗撮してポスターにしていたような女とは思えないほど、松嶋沙耶は今や普通に寂兎智尋という男を愛していた。 大学卒業後には婚約をし、お互い将来のことを考えながらささやかながら結婚式も挙げようと予定していた。ドレスよりも何よりも二人が気に行ったのはウェディングシューズで、シューズを飾る花に特に沙耶は惹かれた。「運命を開く」なんて、らしくていいじゃないかと智尋も笑っていた。きっとこのシューズを履いてヴァージンロードを歩くのだろうと信じていた。 玉突き事故に巻き込まれた。 病室で鎖のようなチューブに繋がれた智尋の手を時折握ったかと思えば、隣にある椅子に座ってずっと傷だらけの目元を...